その飢饉ではな、いっぱい人が死んだし、自害もした。
とにかく、みんな楽になりたかったんよ。
天国に行って、のんびりしたかったんよ。
けど、本当はもっと婆ちゃん達みたいに、長生きしたかったんだと思う。
だからお前も、ちゃんと食べられる事に感謝して、毎日元気にしとらにゃならんよ。
嘘をつかずに、真面目に生きなきゃならんよ。
女子供も、その飢饉では沢山死んだんだ・・・・
祖母の『嘘をついてはいけない』という言葉に心を打たれ、
夜釣りをしていた時に、海上に人影らしきモノを目撃したことを報告した。
すると二人は落ち着いた表情で、『やっぱりな・・・』と言った。
急に恐怖心が芽生えたS氏がガクガクと震え出すと、
祖母は『大丈夫大丈夫、婆ちゃんがついとるから・・・』と優しく慰めた。
だが、祖母の表情はいかにも不安そうで、曇っていた。
しばらくすると、祖父は『お寺に行ってくる』と言って、出掛けて行った。
翌日、S氏の自宅に住職がやって来た。
例の襖の前に積み上げられている荷物等を撤去する作業と、
祭壇の準備を手伝うことになった。
全ての準備が整うと住職はブツブツと何か言いながら部屋中を歩き回った後、
祭壇の前へ行き、お経を唱え始めた。
S氏は部屋から退出するよう命じられた。
去り際に襖に目をやると、ほんの10cmくらい開いていた。
色々と不安だったS氏は部屋の前で待機していた。
儀式はおよそ1時間程で終了し、部屋から出てきた住職はS氏に話しかける。
住職『おそらく、今日はちょっとだけビックリする事が起きるかもしれない。』
住職『だけど、大丈夫だから。』
住職『たとえそれが起きたとしても、そのままそこにいなさい。』
住職『もう大丈夫だから、何が起きてもその場を離れちゃダメだよ。』
S氏『はい。』
その後、住職は祖父とおじさんのもとに歩み寄った。
おじさん『大丈夫なんでしょうか!?』
おじさん『Sは大丈夫なんでしょうか?・・・』
住職『大丈夫、その場を離れなければ。』
夕食を済ませると、気を紛らわすために花火に興じることにした。
入浴を済ませ、床に着く。
だが、不安と恐怖心で気が立っているS氏は、なかなか寝付けない。
加えて、昼間の住職の言葉が気になる。
S氏の寝室は例の部屋の斜向かいに位置する。
床に着いてどれくらいの時間が経過したであろうか。
例の部屋の方向から、何やら音が聞こえて来た。
ココココココココココ・・・・・
小刻みに物同士がぶつかり合うような音だ。
間もなくして、人間の声で、ボソボソ何か言っているのが聞こえてきた。
声はどんどん増えいき、そこかしこから聞こえ出した。
『腹・・・腹・・・』
『やんた・・・やんた・・・生きて・・・生きてぇ・・・』
『腹・・・は・・・』
『死にたぐね・・・やんた・・・』
『腹・・・腹・・・』
『やんた・・・やんた・・・生きて・・・生きてぇ・・・』
『お寺さ・・・やんた・・・』
『水っこはやんた・・・も・・・』
『腹・・・水っこは・・・』
『取ってけっつぇ・・・死にたぐね・・・生きてぇ・・・』
発狂してしまいそうな程、もう怖くて怖くて仕方がなかった。
だが、住職の言つけを守らなければいけないと、必死に自分に言い聞かせ、
震えながら目を固く閉じ、じっと布団の中で時間が過ぎるのを待った。
声はやむどころか、尚も増え続ける。
やがてS氏の寝室内でも、コココココ・・・という音が鳴り始めた。
驚きのあまり、音のする方向を反射的に見てしまった。
視線の先には般若の刺繍が納められている額縁が飾られており、
それが小刻みに揺れている。
加えて、般若の刺繍の眼が動いており、
口からは『腹・・・腹・・・』『やんた・・・生きてぇ・・・』という言葉を発している!
先程から聞こえていた人の声というのは、この般若の刺繍が発していたのだ。
般若の眼と視線が合った瞬間、S氏は気を失ってしまった。
翌朝、目が覚めると祖父のもとに駆けて行き、昨晩起こったことを報告した。
報告ののち、お寺に向かい、住職にお経を頂いた。
それ以降、彼の身辺で奇怪なことは起こっていないのだという。
