【後日、G氏が「かんひも」について調べた結果】
残念ながら、この時彼の祖父はすでに他界しており、
文献と祖母の話から導き出した推測になる。
昔、まだ村が他との関わりをあまり持たず、集落だけで生活していた頃、
集落内での婚姻が大半で、やはり「血が濃くなる」という問題が生じていたようだ。
「血が濃くなる」と障害を持った子供が生まれてくる確率が高くなると言われている。
現代のように科学や医学が発達していなかった時代、
そのようにして生まれてきた子供達は「凶子(まがご)」と呼ばれ、忌まれていたようだ。
そして、凶子を産んだ女性は「凶女(まがつめ)」と呼ばれ、また同様の扱いを受けた。
しかし、昔のことで凶子が生まれたとしても、産後間もない時期に判明することは少なく、
ある程度成長した時期に凶子と分かる例が多かったようだ。
こういった子供達はその奇行から、やはりキツネ憑きや禍々しいものと考えられており、
その親子共々、集落内に災いを呼ぶとして無慈悲に命を奪われていった。
加えて、その方法というのは凶女に我が子をその手に掛けさせ、
さらに事後はその凶女自身もとてつもなく無残な方法で殺害されたのだという。
この方法に関して、どの文献等にも詳しく記述されたものがなかったことから、
余程ひどい内容だったのではないかとG氏は推察する。
凶女は殺害された後も集落に災いを及ぼす存在であると考えられていた。
ここで「かんひも」の登場である。
「かんひも」は前述したように、「髪被喪」と書く。
つまり、「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事になる。
どうやら凶女の髪の束を使い、凶子の骨で作った珠で留め、特殊なまじないにしたようだ。
そして、それを隣村の地に埋めて、災いを他の村に被せようとする風習があった。
例の「かんひも」に関しては腕輪の形状をしていたものの、
本来はそういった呪詛的な意味の方が大きかったように思える。
また、今回の物は腕輪であったが、首輪など様々な形状の物が存在するようだ。
しかし、呪いには必ず呪い返しが付き物である。
仕掛けられた「かんひも」に気づいた隣村の村人は、
これを掘り返して、仕掛けた村に仕掛け返したそうである。
呪い返しを防ぐために建てられたのが道祖神「阿苦」である。
仕掛け返された村の村人は自分達の村に埋められた「かんひも」に気づくと、
その上に「阿苦」を置いて封じた。
「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており、
石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより、
自分の村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのである。
そして、その隣村への道がちょうどあの日、G氏とK君が遊んでいた
あの裏山から続いていたそうだ。
長い年月の中で「かんひも」は穢れを失い、風化していったようだが、
例の「かんひも」はまだ呪いの効力が残っていたと考えられる。
従って、「かんひも」は呪詛の一種であると結論付けることができる。
最後に。
G氏はあれから地元の大きな病院に連れて行かれたK君はどうなったのか、祖母に尋ねた。
住職の力のお陰か、病院に到着した頃にはすでに彼の体内には髪は1本も残っておらず、
彼の腕は祖父がつけた刃物の切り口があり、
皮だけになり中身がスカスカの状態だったという。
なんとか一命は取り留めたものの、K君は一生寝たきりとなってしまったのだそうだ。
医者の話では脳に細かい「髪の細さほどの無数の穴」が開いていたとのこと・・・

