これは老人S氏が子供の頃、山深い村落で暮らしていた時のことである。
村人のほとんどが林業を営んでおり、山は彼らの親と同じであった。
そんな村にも地主が存在しており、村の外れにある大きな屋敷に住んでいた。
地主は林業を営むわけでもなく、毎日をのんびりと暮らしていた。
まさしく牧歌的な暮らしの村であるが、村特有のルールも存在していた。
「毎月3日は髪取り師以外は地主の家に近づいてはならない」
「屋敷に来る客人に声をかけてはならない」
というものだった。
毎月3日の朝に村外から数名の人間が訪れては、夕方には帰っていく。
物心付く前からそのルールを教え込まれていたS氏は、
何の疑問ももたずにルールを守り続けていた。
ある日、村の外から一人の男が流れ着いてきた。
その男を仮にAと呼称する。
Aは村のはずれにある屋敷から少し離れた場所に、勝手に小屋を造り住み着いた。
村人たちは不審人物であるAに誰がこの村のルールを説明するのかを会議し、
S氏の父親がその役を任されることになった。
父親は早速Aの小屋へ赴き、この村のルールを説明した。
このルールを破れば大変な事になるので、必ず守って欲しいと念をおした。
Aを村から追い出すという結論に至らなかったのは、甚だ疑問ではあるが、
その疑問の答えは次の通りである。
「村の人間の半数が流れ者であったため、そもそも追い出すという考えがなかった」
話を戻す。
Aは父親の説明を聞き、ルールを守る事を了解した。
そしてAが訪れてから最初の3日が訪れた。
この日も20代の男女と40代の男一人が村へとやってきた。
3日にやってくる者は皆、良家の出で身なりもよく、「品」があった。
では、何故この村に村外の者が訪れるのか?
その秘密は「髪寄りの法」というものの存在にある。
この「髪寄りの法」とは、人間にかけられた呪いや憑き物を祓う術であり、
この村の地主がその術を代々受け継いでいるのだ。
術はその名の通り、髪の毛に邪念を寄せ取り除くというもの。
しかし、その髪を取り出す場所は被術者の腹部から取り出される。
その髪を山へ封印しに行くのが、地主から洗礼を受けた「髪取り師」である。
その日もいつもと同じように時間が流れ、
屋敷の裏口にそっと置かれた包み紙を髪取り師が持ち、山へと封印しに行った。
だが、村に来て日の浅いAは村のルールは聞いていたが、
あろうことかそれを無視し、屋敷の側の雑木林からその様子を伺っていた。
Aは髪取り師が持ち去った包み紙に、
「何かいいものが入っているのではないか」という邪な考えを抱き、
髪取り師を尾行していたのだ。
髪の封印場所は山の中腹に建てられた祠であり、
この祠の管理も髪取り師の仕事であった。
Aは髪取り師が祠の中に包み紙を奉納し終え、下山したのを確認すると、
祠の中からそれを取り出した。
その中に入っていたのは、血で濡れた一束の髪の毛・・・
Aはそれを見た途端、
A『うわあぁぁーーーー!!』
大きな叫び声を上げ、その髪を放り出し逃げ出した。
その次の日、Aの小屋が燃えた。
Aは小屋から逃げ出し無事であったが、不審に思った地主がAを呼び出した。
Aは昨日の事を話さなかったらしいが、地主にはAに憑いているモノが見えていたという。
地主はAに厳しい口調でこう言った。
地主『死にたくなければ、お前が髪取り師を受け継げ。』
地主『もし拒否すれば、お前の命はない!』
Aはあろうことか拒否した。
その日の内にAは村から追放された。
それから数日後、地主の屋敷が全焼し、一家全員が焼死した。
その焼け跡からはAとみられる遺体も発見された。
村人はAが放火し、そのまま逃げ遅れたのだろうという結論に至った。
それよりさらに数日後、髪取り師が祠に行くと、
祠は完全に破壊され、奉納されてあった髪もすべて持ち去られていた。
真相は不明だが、村人たちの話ではAは祠を破壊し、髪を持って屋敷に行った。
それが原因で髪の呪いや邪念が一気に高まり、
屋敷の炎上を引き起こしたのではないかという結論に至った。
地主の亡き後、村外の者からの収益もなくなり、
次第に村は廃れていき、やがて捨て村となっていったそうだ。