これはバーテンダーの女性E氏が体験した話である。
彼女が勤務するバーのスタッフはオーナーとE氏の二人のみ。
店舗は雑居ビルの二階にある小さなバーだ。
店の入り口から一番近いカウンターの席に、
時々、人の気配を感じる事があるという。
「あ、お客様かな?」と、カウンターから身を乗り出して確認するが誰も居ない。
そういう事が働き始めた頃は、気になって仕方なかったのだが、
一年もして慣れてくると、気にも留まらなくなった。
ある日、常連の客がひどく酔っていた。
例の一番入り口寄りのカウンターに座り、何もない壁に向かって突然話し始める。
それも相槌を打ちながら、会話形式のリズムでだ。
最初は「相当酔ってるのかなぁ~」と思い、面白半分でその様子を見ていたのだが、
会話の内容が妙に現実的で、次第に気味が悪くなった。
オーナー『○○さん、やめてくださいよ~』
オーナー『今日はちょっと飲み過ぎですよ~』
さすがに見かねたオーナーが常連客に声を掛けた。
常連客『マスター、この子は苦労しとるわ』
常連客『いくつなの?』
常連客『一緒には行けんなぁ、俺の子供まだ小さいし・・・』
と言ったような内容の言葉を発している。
会話の端々から、外国人の若い女性がそこに居るという事が聞き取れた。
ただ単に酔いが回ってるのか、本当に何か見えてるのか・・・
いずれにしても気味が悪かったので、その日は常連客から距離を置くことにした。
閉店後、E氏とオーナーは後片付けをしながら話していた。
会話の中でオーナーは
オーナー『この店は居抜き(店舗の中身を以前使っていた店舗そのままの状態)で買った物件だから、そんな事もあり得るのかもしれないなぁ』
と、憂鬱そうな顔で言った。
その日から5日後、あの常連客が心筋梗塞で急にこの世を去ったということを、
彼と同じ会社の同僚が来店した際に知らされた。
これを聞かされた彼女は鳥肌が立った。
半年という短い期間ではあったが、三日に一度は来店していた常連客であったため、
さすがに胸が苦しくなった。
あの日『一緒には行けんなぁ』と言っていたことと、何か関係があるのだろうか。
ともすれば、世の中には気付いてはいけない存在があるのかもしれない。
その日以来、E氏もオーナーもあのカウンターに気配を感じても視線を送らないようにしている。
そして、あの席には極力、客を座らせないようにしているのだという。