L氏は友人のA氏が帰省する際に同行することがよくある。
A氏の実家は山の中腹にあり、
両親が食堂と小料理屋を足して2で割ったような店を営んでいた。
店の横の渓流で捕れる川魚料理と山菜料理は絶品で、
同行して訪れた際は塩焼き、山菜おこわなどを御馳走になるのが楽しみだった。
商売気はなく、沢山の田畑を貸し、悠々自適に暮らす夫婦の趣味の店といった雰囲気だ。
以前、A氏の帰省に同行した時のこと、
L氏が店内で食事をしていると、店の電話が鳴った。
A氏の父親がこの電話に出た。
それは急な団体客からの問い合わせであり、
魚料理を要望されたようだが、彼の父親は『用意できない』と断った。
「では、日を改めて」と依頼されるが、これも断った。
L氏はこれに関して、不思議に感じたという。
それもそのはず、この日はたまたま急な依頼であったため、
断るのは仕方のないことではあるが、
後日であれば、段取りできないこともないのではないか。
電話を終えた父親に断った理由を尋ねてみると、面白い話をしてくれた。
店の脇には渓流と繋がる生簀がある。
そこには毎日、決まって32匹の魚がいるという。
『何故決まって32匹なのか?』と問うと、
大昔、この集落にはA氏の一族が32人いたという。
当時、この辺りの山には鬼が住んでおり、
退治されかけて、逃げて来たところをA氏の先祖が匿ってやったそうだ。
傷が癒えて立ち去る時、鬼は『何か礼をしたい』と言ったが、
先祖は『礼などいらない』と断ったという。
困った鬼は、訪ねて来た時に持ってきた魚を先祖が喜んで食べたことを思い出し、
『渓流の魚を全て差し上げる』と申し出た。
しかし、『川の魚を独り占めなんてとんでもない!』と、先祖が断ったため、
毎日、新鮮な魚を一族の人数分だけ受け取るということで話が決着した。
生簀を良く見ると、川との接点には網などの仕切りはなく、
渓流から清らかな水が遠慮なく行き来していた。
まるで昔話のようだが、少なくともL氏が滞在していた3日間は、
毎朝、誰も捕りに行ってないのにも関わらず、
32匹の大きなアマゴが自然に生簀に入って逃げようともせず泳いでいた。
この話を聞いて、アマゴの塩焼きを不思議な気持ちで食べるL氏の姿がそこにはあった。