これは現在介護老人ホームに入所している、とある老人D氏が太平洋戦争時に体験した話である。
D氏は当時、日本海軍の航空隊に所属しており夜間攻撃機の操縦士の任務に就いていた。
彼が乗り組んでいた機体の名称は「月光」という夜間攻撃機だったという。
夜間に飛来するB29爆撃機を迎撃するのが主任務で、横須賀基地に所属していた。
昭和19年の終盤辺りから首都圏も敵国の爆撃が盛んになり、翌年昭和20年3月10日、俗にいう東京大空襲が敵国により敢行された。
大空襲の前日、深夜23時頃に空襲警報が発令されたが、なぜか即時解除され一安心していたが、
日付が変わった午前0時半ば頃、再び空襲警報と出撃命令が発令された。
辺り一帯にけたたましいサイレンの音が鳴り響く・・・
D氏と電探士(レーダーを操作する兵隊ともう一人の三人で出撃。
高度を上げ東京方面に機首を向けるとすでに東京は火の海だった。
空は火災の炎で真っ赤に染まり、煙は高度何千メートルにもおよび、上昇気流が凄まじく首都圏上空は飛行困難だった。
D氏は必死で操縦と目視による索敵を行い、機首を西に向けた、その時・・・
電探士がレーダーに「感あり」をD氏に告げた。
電探士の誘導にて操縦すると首都圏から離れた東京湾上空に出た。
しばらくするとかなりの抵高度で機関銃の曳光弾(えいこうだん=弾底から光を出して、弾道がわかるようにした弾丸)を吐き出す機影を発見した。
どうやら敵機と戦闘中らしいが、機影はその機体以外確認できなかった。
D氏は敵味方識別のため接近を試みた。
あまり近づきすぎるとこちらが攻撃される可能性があるため、警戒しつつ少し距離をとる。
しかし、彼は妙な違和感を感じた。
間違いなく敵機B29であるのは確かであった。
四発搭載しているエンジンのうち、三発から煙を吐いている満身創痍のようだ。
違和感というのは機体中央部から機関銃を上空に向けて撃っている。
そもそも敵機の上空には機影はない。
ましてやB29の機体中央部には機関銃の砲塔は存在しない。
さらに接近を試みた。
そしてD氏はそれを見た。いや見てしまった・・・
B29は機体中央部を激しく損傷し、天井装甲が剥離しており操縦席は丸見えであった。
おそらく旋回砲塔から取り外した機関銃を機内から敵兵が「なにか」に向けて射撃している。
銃口の先には信じがたいモノがいた。
体は人間に似ているが痩せこけて体毛は確認できない。
肌は浅黒く顔は人とも獣ともつかない。
耳はとがりまるで悪魔のような・・・
背中には翼があり、まるでコウモリのようだ。
それより驚いたのはその大きさだった。
目測で体調は約5m以上、翼を広げた幅は20mはあろうか・・・
その得体のしれない存在は、片手に首のない敵兵の死体をぶらさげ、もう一方の片手で機体に取りつき、
まだ機内で応戦している敵兵パイロットを狙っているようだった。
D氏は電探士に意見を仰ぐも信じられないの一辺倒。
もう一人の搭乗者はその位置からは確認できず、D氏は攻撃しようと考えたが、
「月光」の機関砲は機体真上の前方斜めに設置されており、攻撃は背面飛行でもしないかぎり不可能である。
D氏はこれ以上、この空域を飛行するのは危険と判断し離脱を決心した。
というより逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
遠くに見えるB29はどんどん高度が下がる。
しかし敵兵は戦闘をあきらめることはせず、曳光弾の軌跡が次々と上空に吐き出される。
彼はその光景を最後まで見届けることはできなかった・・・
その後は都心部上空に向かい、迎撃任務に戻るが心ここにあらず。
早朝に基地に帰投した。
帰投後、上官に昨夜の報告を終える。
「戦果なし」
例の件は報告できなかった・・・
同乗者には口止めをした。
話したところで信用されないだろうし、もの狂いと思われるのが関の山。
D氏はこの日の体験を墓場まで持っていこうと、当時は覚悟していたという。