これは霊感などまったくない、とあるバンドマンのA氏が始めて霊体験した時の話である。
A氏は都内で仲間と趣味のバンド活動をしている。
ハードロックのコピーバンドだ。
彼らはお客さんを集めてお金を取るという趣向ではなく、完全な自己満足で活動している。
それは初秋の頃に簡単なライブを開催した時のことだ。
お客さんの中に、一風変わったおばさんがライブ会場にいた。
黒いボサボサの長髪で顔色が悪く、眼の下に大きなクマを作り、口をヘの字に曲げた、
いかにも不健康そうな小太りのおばさん。
彼は出番が終わり、他のバンドの演奏を観賞していると、そのおばさんが視界に入ってきた。
なにか取り巻きと話している。
少しばかり気になったので耳を傾けると、こんな内容の話をしていた。
おばさん『ライブハウスを立ち上げようとしていた旦那が、突然の病気で去年の冬に他界した。 』
おばさん『志し半ばでこの世を去ってしまった旦那の弔いとして、一周忌の追悼イベントを自分が開催する。 』
おばさん『バンドが好きだった彼のためになればいい。』
これを聞いて、A氏はそのおばさんのことを「なかなか旦那思いの人だな。」と感じたという。
その時、A氏は何気なく上を見上げた。
ライブハウスというのは大抵ビルの地下にあるため、天井には空調などの色んな配管がむき出しになってる場所が多い。
その白くて太い配管と細い配管の隙間をぼやーっと眺めていると・・・
そこにはなんと顔があった!!
黒くて無表情な、口を半開きにした顔が・・・
彼は手に持っていた飲み物を床に落とした。
恐怖のあまり固まってしまい、その顔から視線を外そうとするが、できない。
一瞬、演奏が始まった音に気を取られていると、そこにあった顔はすでにもう消えてしまっていた。
彼はその顔から目を離したわけではない。
すぐに「これは錯覚だ!自分の思い込みだ!」と自分に言い聞かせ、なんとか落ち着こうとした。
その日から一週間が経過し、A氏がバンドのメンバーの一人と食事をしていた時のこと。
ふとメンバーの口から、会場に居たあのおばさんの話が出た。
実はそのおばさんというのは、ハードロックのコピーバンド業界では結構な有名人だそうだ。
彼女はバンドやライブが好きで、高校生の娘と一緒に色んな会場を訪れているらしい。
一週間前のあのライブの日にも娘が来場していたらしいが、A氏は確認できなかったという。
バンドメンバー曰く、このおばさんには少しばかり問題があり、
ライブハウスに来場する目的が音楽を聞くためではなく、
ライブで演奏するバンドマンとの親交を目当てにしているとのことだった。
バンドマン側としては自分達のバンドを盛り上げていきたい、
少しでもファンを増やしたいという気持ちがあり、
少々気味の悪いお客さんであっても邪険に扱うことが出来ないのだそうだ。
そんなバンドマン達の気持ちに付け込んで、自身の自慢話や娘の自慢話など、
とにかく自慢話ばかりするということで有名なおばさんだった。
実はメンバーが言うには問題はそれだけではなかった。
それは彼女の旦那についてのことだった。
「バンドが好きだった旦那」、彼が他界した原因は病気だったというのはまったくの嘘っぱちで、
どうも病気ではなく自らその生涯を終えたらしい。
それに至った経緯というのが、とても凄まじいものだった。
旦那は勤務していた会社をリストラされ、
退職金とバイトでの収入で何とか生計を立てていた去年のこと。
そんな生活が苦しい状態にも関わらず、おばさんのライブハウス周りは熱を増してしまっていた。
娘と来る日も来る日も、車でライブハウスを行脚する日々。
所有している車は一台しかなく、それをおばさんが独占していたので、
車好きでドライブが趣味の旦那は乗ることができなかった。
金銭的に苦しい状況にも関わらず、旦那の退職金とバイトで得た少しばかりのお金でライブどころか打ち上げにまで参加して、
朝まで飲み歩き、昼前に帰宅し、夜まで寝て、またライブハウスへ行くという豪遊を繰り返していたのだった。
慣れないバイト先での仕事、インスタントの食事、家に居ない家族。
旦那は日に日に狼狽していった。
ある日、我慢の限界を迎えた旦那はライブハウスへ行こうとする妻を引き止めた。
旦那『頼む!行かないでくれ!寂しい・・・』と。
しかし、おばさんはそんな旦那を振り払い、車を走らせ、またライブ会場に向かった。
そして次の朝、おばさんと娘が帰宅すると警察から連絡が入っていたとのこと。
A氏があの日見た顔は錯覚かもしれないが、もしかするとその旦那かもしれない。
なぜなら、それはおばさんの話に耳を傾けているときに見たのだから。
このおばさんは自身のブログを運営していて、
そのブログには「夫の追悼ライブを開催します!」と投稿していた。
「愛とは」などと、説教くさいことも書いてある。
この追悼ライブの出演者には事実は何も聞かされていないらしい。
『ライブに行かないでくれ』と言っていた旦那。
このおばさんは旦那の悲劇すら利用したいのだろうか・・・
A氏は配管の間から見た顔より、このおばさんの所業のほうが余程怖かったと語った。